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77.高齢化社会の悲観論(「肩車型」の常識)を疑え!

社説:国のかたちを考える7 超高齢社会

「肩車型」の常識を疑え

毎日新聞 2012年05月05日

 長寿はおめでたいことなのに、高齢化となると悲観論をもって語られることが多い。現役世代の人口が減り続けているせいでもある。現役4人が高齢者1人を背負う「騎馬戦型」から、現役1人が高齢者1人を背負う「肩車型」になると言われたら誰しも不安になるだろう。たしかに人口比率はそのようになる。

 だからこそ先進国最低レベルの国民負担率(税と保険の負担)をもう少し引き上げるべきだという文脈で「肩車型」説は登場したはずだったが、野田佳彦首相らの言い方がまずいのだろうか、逆に社会保障制度の信頼性を揺るがせているようにも思える。そのせいで年金や保険の未加入者が増えているのだとしたらあまりに皮肉だ。

現役の負担は増えない

 ここは世の「肩車型=悲観論」の常識を疑ってみようではないか。

 現役(15〜64歳)と高齢者(65歳以上)の人口比がいずれ1対1になるのは間違いないとして、社会保障の安定性を考える上で大事なのは働いて所得を得ている層と「支えられる側」の比率であることを忘れてはならない。「支えられる側」にいるのは高齢者だけではない。戦後間もないころの親は大勢の子供たちを育てていたが、今は子供の数が減り続けている。

 また、以前の「支えられる側」には専業主婦、障害者、病気の人も含まれていたが、今は専業主婦世帯よりも共働き世帯の方が増え、障害者の雇用率も上がっている。また、65歳を過ぎても働いている高齢者は以前と比べものにならないほど多くなった。ひきこもりやニートなど現役世代で働いていない人もいるが、これらのデータを含めて総合的に見ると、「支える側」と「支えられる側」の比率はこの数十年ほとんど変化がない。今後も高齢者や主婦が働いて「支える側」が厚くなれば、高齢化率の伸びほどには現役世代の負担は増えないだろう。

 もう一つ、悲観論の根拠である「高齢化に伴って社会保障費が毎年1兆円ずつ増え、世代間格差が広がる」という説も考えてみよう。

 3世代同居が当たり前だった時代は、老いた両親の介護や子供の保育はもっぱら妻の役割とされ、その妻を含めた大家族全員の生活費を現役世代の夫が一人で支えていた。ところが、核家族やひとり暮らしが当たり前になり、子供の数も減ってくると、親の介護や保育の負担は相対的に軽くなる。老いた親も年金や預金で生活できるようになれば、現役世代の経済的負担は少なくなる。

 もちろん、無年金や低年金の高齢者は多く、親の介護のために離職する人も後を絶たないが、年金も介護保険もなかったころに比べれば、今の現役世代の負担は一概に重くなったとは言えない。むしろ1人当たりの相続財産は以前より多く、教育を受ける機会や費用も増えている。「肩車型」のイメージと世代間格差の実相はかなり違うと考えるべきだ。

 国家財政レベルでは社会保障費の増加は圧迫要因かもしれないが、増加分が介護や保育サービスの充実に回れば、現役世代の家族内の負担は軽減されていく。もともと社会保障は所得の多い人から税や保険料を多く集め、所得の少ない人に回す再分配の機能を持つ。費用の膨張だけでなく、再分配が有効に機能しているかどうかが問題なのである。

プラチナ世代に注目

 「支える側」で特に注目すべきなのは元気な高齢層だ。年齢区分では「高齢者」とされるが、実は肩車の下側で支えている。たとえば、今年65歳になった人を見ると、プロ野球の星野仙一楽天監督、タレントで映画監督の北野武氏をはじめそうそうたる人物が各界で名を連ねる。そう簡単に隠居などしそうにない、ピカピカの現役である。「お年寄り」と呼ぶのもはばかられる65歳以上はあなたの身近にも多いはずだ。

 年齢的にはシルバーだが、いぶし銀のような地味さはなく色あせずに輝き続けるという意味で「プラチナ世代」と呼ばれたりする。戦後の日本の医療や保険の成果について昨年、英医学誌「ランセット」が特集したが、単に長寿だというだけでなく元気な高齢世代を大量に出現させた功績も見逃してはならない。

 ビジネスマンや理系研究者が定年後、福祉や農業などの分野に転身し成功している例は今や珍しくない。未知の分野に果敢に飛び込み、長年培ってきた豊富な知識や経験を生かしてほしい。多様な価値観がぶつかり合うところに新しい時代を切り開くヒントが生まれるはずだ。

 プラチナ世代が輝き続けるためには医療や福祉も変わらねばならない。高齢になれば誰だって病気や障害は持つものだ。「治す」ことを目的にした急性期医療モデルから、治らなくても生きがいを持って働き続けられるような慢性期の医療・介護モデルへの転換を急ぐべきだ。

 大量のプラチナ世代が「支える側」に回ったとき、この国のかたちはずいぶん違って見えてくる。過度の悲観は禁物だ。どうやって「支える側」に居続けられるかを考えよう。

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