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<余談①>右傾化という時流に乗って「活躍」する人物のいい加減さとは?

勝谷誠彦氏の場合

 <フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より>

 ・全共闘世代について、「クズ」(『たかじんのそこまで言って委員会』での発言)と言うように、非常に嫌悪感を持って認識している。「たかじんのそこまで言って委員会」で団塊の世代である司会のやしきたかじんの前で発言したときに「悪かったな俺も団塊の世代や」というと勝谷が凍り付いてしばらく無口になったこともある。

 ・故橋田信介を親しい人物であると主張しているが、フリージャーナリストの常岡浩介の2004年5月28日付けweb日記では「次に橋田さんとお逢いしたのは一年後の3月2日、同じバグダッドでだった。サフィールホテルにインターネットを使いに来たところに橋田さんが甥の小川功太郎さんを伴って現れたのだった。ちょうどこの日、ジャーナリストを気取った邦人テレビタレントがバグダッドに入る手前のファルージャで追い剥ぎに遭った。橋田さんはこの邦人のお粗末な事件の顛末を聞かせてくれた。この邦人と仕事上仕方なく付き合ってはいるものの、実は迷惑らしく、いやで仕方がないといった風情だった。」と指摘されている。

 ・2004年11月に勝谷の女性マネージャーが、同じ吉本興業所属の島田紳助に暴行を受けたとして書類送検された。この事件について・・・・・・テレビやラジオでは全くコメントしなかった。また、テレビが「島田紳助所属タレント」「島田紳助司会者」などの奇妙な呼称を使っていることに関しても一切言及していない(「稲垣吾郎メンバー」の際にはかなり揶揄していた)。このことについて小田嶋隆氏が『読売ウイークリー』のコラム上で「勝谷がコメントを逃げて、裏ではマネージャーに知恵をつけている」と批判したことに対し、「まことに下品で下劣な文章」と同誌編集長に直接電話して抗議した。

 ・2004年11月5日深夜放送の『朝まで生テレビ!』で田原総一朗から日中戦争の認識について問われ、「(日本の侵略戦争とは)思わない」が自衛戦争とも「違う」と返答した。結局、なんのための戦争だったのかとの問いに返答できなかったことについて、田原から「答えられないなら偉そうなことを言うな」と痛罵された。

 ・靖国神社問題について2006年7月31日放送の『ビートたけしのTVタックル』で代替追悼施設の存在意義に対して否定的見解を表明した。ただ、2005年5月放送の『朝まで生テレビ!』では「(多宗教の)追悼施設は作るべき」との見解を述べていた。

 ・2005年8月放送の『朝まで生テレビ!』で「(日本)国民は馬鹿だ」と発言した。ただし、自身に同調する意見については、日本人はまだまだ捨てたものではない等の友好的態度をとっている。

 ・記者クラブへの反発から自身のことをジャーナリストと呼ばれることを嫌い、TBSラジオ『ストリーム』で「ぼくは偉そうにジャーナリストという肩書きを使っている人間がちゃんちゃらおかしいと思っている、特に国際ジャーナリストってなのってる連中」というと、小西克哉が「どうして、ぼくは国際ジャーナリストと名乗っているけど…」というと、一瞬沈黙した後「小西さんのような人はいいんですけど、いい加減なやつが多いから…、僕は自分のことを絶対ジャーナリストなんて呼ばずにコラムニストと呼ぶんです」と答えた。それに対して小西は「ジャーナリストというのは記者という程度の意味しか無くてどっかに寄稿したことがあれば、ジャーナリストと名乗れるけど、コラムニストというのは有名紙に署名記事を書ける一流記者のことを言うんだけど」と指摘した。

 ・テレビ出演の際は「支那」との呼び方を用いない。テレビではとてもそう呼べないと日記上で打ち明けた事があるが、理由は自粛しないと自分がテレビでの発言機会を失うと関西ローカルの番組で述べたことがある。メディアに応じて呼称を使い分けているということになり、メディアの圧力に屈して自らの信条を歪めていると指摘される原因にもなっている。

 ・2004年4月のイラク日本人人質事件について自作自演説を展開していた。その後『朝まで生テレビ!』で他の出演者が「あんなデマを真に受ける人間があっちこっちにいた」と口々に語った際にはうつむいて沈黙していた。

 ・2006年9月13日の日記(引用者注:ブログのこと)において秋篠宮の親王が悠仁と命名されたことについて「まことに良いお名前だと思う」と「悠」の字を用いたことを賛美していたが、2005年2月15日には同じ一文字を「戦後自由平等糞教育を受けた阿呆がいかにもつけそうな一文字」と言及していた。

 ・吉田拓郎やかぐや姫のコンサート「つま恋」の観客について「バリケードの中で互いに傷舐めあったあげくにこの国を潰した衆愚の塊よ」と酷評した。これは、バリケードと言う単語から明らかなように団塊の世代に対する批判であったが、報道によれば当日の観客の平均年齢は49歳で、団塊ではなく勝谷の世代であった。

 ・2006年に発覚した日本の高等学校での全国的な履修不足について、「履修不足でなく単位偽装である」と批判しており、当初は問題に対する当該生徒やその父母の認識、履修不足のまま卒業・進学した過去の生徒の学歴の正当性について批判を繰り返していた。しかし、本人の母校である灘高等学校の履修漏れが発覚した途端、政府や文科省の体質批判を行いだした。

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