« 40.人類は滅亡する―このままでは20数年後に! | トップページ | 42.中南米左傾化の実情とその背景とは? »

41.成果主義導入の罰―ソニーの場合

       参考 : 成果主義の崩壊-富士通の場合..pdf  虚妄の成果主義.pdf

 

成果主義がソニーを破壊した

       天外伺朗[てんげしろう]

(作家・ソニー元上席常務)

 ソニーは二〇〇六年で創業六十年を迎えた。かつては宝石のような輝きを発していた会社だったが、いまや煤(すす)にまみれてしまった。

 パソコン用リチウム電池の発火事故は世界中で約九百六十万個のリコールを引き起こし、五百十億円の交換費用が見込まれている。・・・・・・

 世間の大多数がソニーの異変に気づいたのは、二〇〇三年春のいわゆる「ソニーショック」の時ではないだろうか。このときソニーは四半期だけで約千百億円もの赤字を出したことを発表し、それをうけてソニーの株価は二日運続でストップ安をつけた。

 ・・・・・・ソニーショックの二年ほど前から社内の雰囲気が非常に悪くなっており、心身に変調をきたす社員が激増していた。・・・・・・

 ソニーが輝いていた時代と現在との違いを考えたとき、まず言えるのは「燃える集団」がなくなってしまったということだ。

 ・・・・・心理学の「フロー理論」・・・・・。

 これはアメリカの心理学者チクセントミハイ氏が中心となって唱えている理論で、「フロー」とは無我夢中で何かに取り組んでいるときの精神状態のことを指す。日本語では「流れ」という意味になる。スポーツの世界ではよく、「あのプレーが試合の流れを変えた」とか、「流れに見放された」というが、流れに乗ると運まで味方につけたように、何をしても良い結果につながる。

 この理論に基づいて言えば、技術者が集団でフローに入った状態が「燃える集団」だということになる。この「フロー状態」に入れる条件にはいくつかあるが、最も重要なのは「内発的動機に基づいて行動している」ということである。この「内発的動機」とは、たとえば「自分の力でロポットを作りたい」といった内側から自然にこみ上げてくる衝動である。その反対が「外発的動機」で、これはおカネが欲しい、出世したい、名誉が欲しいという外部からの報酬を求める心のことだ。・・・・・・

 いまのソニー社員は、大切な内発的動機を失ってしまったように見える。それはなぜなのか。私は成果主義が導入されたからだと思っている。

 「業務の成果と金銭的報酬を直接リンクさせれば、社員はより多くの報酬を求めて仕事に没頭するだろう」というのが成果主義だ。しかし目の前にニンジンをぶら下げられたからといって、人は仕事をするものではない。

 チクセントミハイ氏らの研究によると、外発的動機が強くなれば内発的な動機が抑圧されることが分かっている。すなわち「一生懸命に働けば給料を上げてやるよ」と言われ続けると、仕事を楽しもうという内面の意識が抑圧される。それにより仕事そのものに楽しさを感じることができなくなってしまう。

 一九九五年ごろからソニーでは徐々に成果主義が導入され、ついにはコンサルタント会社が作った精密な評価法を使って、社員一人一人のパフォーマンスを給料に反映させるシステムをとった。・・・・

 しかし成果主義が導入されるにつれ、社員は次第にやる気を失っていった。これでは「燃える集団」など生まれるはずもない。

 業務の成果をはかるためには、まず色いろな要素を数値化しなければならない。だが、仕事の内容は簡単に数値化できるものではない。成果を計測するためにエネルギーや時間が消費され、肝心の仕事がおざなりになるという本末転倒な傾向が出てきた。

 また目標に対する達成度を計測するとなると、ほぼ全員が達成できそうな低い目標を掲げ、ソニースピリットの核心ともいえる「挑戦すること」を止めてしまった

 これはソニーに限ったことではないが、成果主義が導入されると、目先の利益を追求する雰囲気が社内に蔓延してしまう。そうなると短期的な収益に貢献しない業務、たとえば晶質保持のための検査やエイジングといった業務はどうしても軽んじられてしまう

 エイジングとは電池の品質を維持するための工程の一つだ。電池は製造プロセスは同じでも、化学反応が進みすぎた不良晶が出来てしまうことがある。そのため製造してすぐは出荷せずに一定期間は寝かせて、反応が進んで劣化した製品を検査で取り除く。これをエイジングという。

 リチウム電池事故の直接的な原因がエイジングの軽視にあるかどうか定かではないが、どの企業であれ、成果主義を採用するとこうした地道な作業がおろそかになる傾向があることは指摘しておきたい。

 成果主義は個々人の査定にとどまらなかった。ソニーでは事業部ごとに経済価値を査定して、その評価で事業部全体の報酬を決めることにした。それにより起きたのは事業部間の足の引っ張り合いだ。全体の利益の中から、少しでも多く自分たちの部署へ報酬を引っ張ってこなければならない。となると他の事業部に手柄をたてさせるわけにはいかない。事業部間の溝は拡大し、お互いの連携がなくなってしまった。・・・・・・

 ソニーが活力を失ったのは成果主義のためだ。皮肉なことに成果主義の本場アメリカで、ソニーをお手本に、成果主義を否定する「フロー理論」が語られている。私は大きな衝撃を受けた。

 そもそも成果主義とは人間のパフォーマンスを数値化して、客観的で公正な評価をくだそうというものだ。しかし「客観的で公正」な評価など可能だろうか。私は無理だと思う。・・・・・・

 所詮、人間を項目別に数値化することなどできないし、それを無理にやろうとすれば必ず間違える。

 ・・・・・・ソニーでは社内のエンジニアを対象に学会のようなものを開いている。社内から論文を募集して、それを評価委員が「独創性」や、「他の部門に対する貢献度」、「事業化の可能性」といった項目に沿って点数をつけ、優秀な論文を表彰していく。

 いまから七、八年前、その“学会”で興味深いことがあった。採点を終えた評価委員たちが、「評価項目にしたがって点数をつけていけば、この論文が一位になりますが、私たちは別の論文のほうがいいように思います」と言い出した。確かに委員があえて推した論文は、点数一位になったものより独創的ではるかに優れていた。・・・・・・

 そして成果主義の弊害の最たるものは、社内の雰囲気が悪化することである。上司は部下の人間を見ようとしないで、なにごともマニュアルにしたがった「評価の目」で見るようになる。

 ・・・・・・マネジメントする側に求められるのは、・・・・・・温情や信頼感ではないだろうか。

 日本の企業はかつてはそのことを理解していた。上司は部下が少しばかり暴走しても大目に見ていたし、たとえ失敗しても尻ぬぐいをしてくれた。一方、部下は飲み屋で上司の悪口をいいながら、歯をくいしばって支えてきた。

 しかし管理が強化されて、一見、合理的な査定が導入されると、そうした非合理的な行動をとる人間はいなくなる。自分が損をするだけだから、みんな責任逃れに終始する。これではチームワークなど望むべくもない

 いまソニーに限らず、多くの企業がコンサルタント会社に莫大な費用を払って評価システムを導入している。しかしそうした企業は軒並み業績を落としているように見える。人間は経済的合理性だけで仕事をするわけではない。

 残念ながらソニーもアメリカ流の合理主義的な経営理論を早々と取り入れた企業の一つである。しかし創業者である井深さんの経営は、決して合理的とはいえなかった。その象徴的な例が一九六八年十月に発売されたトリニトロン・テレビである。

 このころソニーはテレビの販売競争で後塵を拝し、倒産の危機に瀕していた。それでも井深さんはトリニトロン方式のテレビを独自に開発することにこだわった。画質がよく、画面のゆがみも少なかったトリニトロン・テレビが発売されると大人気を博し、それから三十年もの長きにわたってソニーの収益の柱でありつづけた。

 しかし「人のやらないことをやる」と独自技術を追い求める姿勢は、いまの収益一辺倒のMBA的な視点からすると失格だろう。・・・・・・

 しかしトリニトロン・テレビがもたらしたものを長期的視野で見れば、収益のように数値化できるものばかりではない。技術が社内に蓄積して技術者が育った。そして「ソニーは独自の技術を追求する会社だ」と、ブランド・イメージも大いに高まった。

 そして何よりも「最先端の会社の一員である」という誇りを社員に与えた。トリニトロン・テレビが長い間、ソニーの収益源でありつづけたのは、エンジニアたちが自らの誇りをかけて改良に情熱を燃やしたからである。・・・・・・

 井深時代とのいちばん大きな違いは何か。それは先に述べた「誇り」だろう。井深さんも社員も自分たちが先頭を走っている、歴史を作っている、という自信があった。

 その頃は他社が何を作っているかなど気にしたことはなかった。ある大手家電メーカーが「マネした電器」と椰楡されたことがあったが、いまやソニーが「マネした電器」になってしまった。・・・・・・

 まだソニーに活カがあった時代、社内ではこんな格言が飛び交っていた。「本当に面白いアイディアを思いついたら、上司に内緒で物を作れ」

 言葉で伝えるより実物を見せたほうが早いからだ。しかし上司が冷たい「評価の目」でみていたら、それに逆らおうとする人間はいなくなるだろう。自分が信頼されているという意識がないと、新奇なものや高い目標に挑む姿勢は生まれてこない

 いつの時代であれ、どこの国であれ、企業は働く人間の内面から湧き出る動機を重視するべきだ。それは、まさにソニーが設立目的に謳ったような「自由闊達ニシテ愉快ナル」会社に他ならない。

 ソニーはかつて「二十一世紀型企業」ともてはやされていたが、皮肉なことに二十一世紀に入ると「二十世紀型企業」に退化してしまった。・・・・・・

    文藝春秋 2007/1 新年特別号

 (文中の太字は文引用者が強調のためにそうしたものです。)

人気blogランキングへ←1クリック応援お願いします!

« 40.人類は滅亡する―このままでは20数年後に! | トップページ | 42.中南米左傾化の実情とその背景とは? »

無料ブログはココログ